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2013年正月松本会開催!

皆様,新年明けましておめでとうございます。
本年が良い年になりますように,願っております。
さて,
恒例のお正月の松本ミニ同窓新年会が行われました。
私は,出席できませんでしたので,
32回生のメーリングリストから様子を拾って見ましょう。
何々,色々書いてありますね~。



■幹事様より

1月2日の正月会は、ホテル花月にて賑々しく開催でした。

お風呂をよばれた方が6名様ほど。

湯上りの一杯は、この上なくのど越しがよく青春の一曲も相まって、盛り上がりました。

飲み放題にかかわらず、日本酒2升とワイン4本の差し入れがあり、それをすっかりかたづけた新春早々の皆さんの肝機能の強じんさには敬服いたします。

流れ流れて3次会がはねたのは0時ころでした。

ご出席のみなさん、ご協力ありがとうございました。

次回の松本会は、もう1ローテーション回すという提案がありました。

おおむね2年に1回のイベントですが前回までの幹事さん方、それぞれお願いしたいかと。

よろしくお願いします。


■ Oさん

松本会の新年会、とても楽しかったです。
幹事の小林くん、床尾くん、下郡さん、ありがとうございました。
下郡さん、お体の調子は大丈夫ですか?
お会いできず残念でした。また、歌いましょうね。

床尾くん、皆様の思い出の曲のダウンロード、良かったです。
小林くん、皆様のエピソード、印刷ありがとうございます。

1次会、2次会、3次会とも素敵な会場で感激しました。本合さんに同感。
さすが、地元に強い飯沼くん、松本の夜にお詳しい小林くんのお力かと。

皆様、本当によく飲みますね。飲み放題が始まる前に、既に持ち込み酒で飲み始め....試飲のつもりが始まりで。
思い出の曲紹介の時点で、皆様、前半の2人3人くらいの紹介までは記憶も確かでしたが....
その後は、流れる曲も聞こえないほど声のボリュームが高くなり....あっという間の2時間でした。

土田くん、床尾くん、美味しいワインをありがとうございました。
神野くん、日本酒2本、ありがとうございます。
土田くんのチーズは本当に美味しく、あれだけ飲んだのに二日酔いが無かった私は、チーズのお陰と思っています。
土田さん、帰国の際にはぜひまたご参加を....

小林くん(ネコしゃん?)、チーズクリームのダックワーズ、美味しかったです。
おしゃれなパッケージに入っていれば、松本では珍しく洒落た洋菓子になるのでは....
竜の子太郎とダックワーズの繋がりが...あの黄色いチラシはどこにいってしまったんだろ??

2次会、3次会と...皆さんお体は大丈夫でしょうか?
今日から無事に仕事を始められていることと思いますが、あれだけ飲んで、無事にたどり着いた皆様、素晴らしい....
○○くん、△△くん....大丈夫?生きてる?
しらふでお酒を我慢していた本合さん、五月蠅く騒いでゴメンナサイ。次回は飲もうね。

地元で開かれる同窓会、皆様、気後れせずに参加いたしましょう。
いつもは東京会という方々もぜひ松本会にも。
きっと、顔だけ出すってのや、ビール1杯だけってのも、幹事さんのOK出れば有りかと....

そうそう...
深志高校の今の状況も知りたいって話も出ましたので、今現在、先生として母校でご活躍の皆様も、次回はぜひ。

いつも頑張って下さっている幹事様のためにも、皆さん出席することで、楽しく盛り上げましょう。

しゃべりすぎたねえ....松島くんから、○○○~、しゃべらないで静かにしていればなあ....と、又言われそうですがあ




参加された方の写真も出回っていますね。
披露しますよ。

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そういえば,今回の正月会は,
新しい企画があったようですよね。


秋の特別企画につづく新企画

「ホテル花月で青春の1曲を」

というころで,幹事から「青春の思い出の曲」の募集をやっていましたね。
曲名(できればアーティストも)と選曲の理由

出席できない方も、「この曲を聴かせたい!」という
曲があれば、お知らせください。

青春の時期は人それぞれと思いますが珠玉の選曲集に
なるかと思います。


なんていう,告知でした。
という様な案内でした。
当日は,どんな風に盛り上がったのであろうか?
当日は,Tさんからのメールを拝見するに,以下の様な曲が会場で流れ続けていたものと思います。
うーーーん,懐かしい確かに,
私の場合,この中では,Top Of The World(カーペンターズ),My Sweetness(Stuff)といった感じがかなり学生時代を感じますね。
というか,全部懐かしいじゃん・・・。


■ Tさんより

本日のリクエスト曲リストの youtube 版を載せておきます。
人によっては感傷にふけられると思いますので、適宜クリックしてください。

それから本日の持ち込み酒リストについてですが、ワインについては私が某所で
呟いた範囲です。土田君に感謝&チーズのお土産までいただきました。

・みずいろの雨(八神純子) http://www.youtube.com/watch?v=Ej7_Yj2ph88
・あの素晴しい愛をもう一度(加藤和彦/北山修)
http://www.youtube.com/watch?v=F8f6t8KpBDQ
・白いページの中に(柴田まゆみ) http://www.youtube.com/watch?v=yvyB7uXoLcc
・My Sweetness(Stuff) http://www.youtube.com/watch?v=v_kCzrdBj-o
・Top Of The World(カーペンターズ) http://www.youtube.com/watch?v=91PpfWU-rmA
・言葉にできない(オフコース) http://www.youtube.com/watch?v=HiNoMrGqqKk
・HERO(甲斐バンド) http://www.youtube.com/watch?v=IB25r_o0m5g
・暑中お見舞い申し上げます(キャンディーズ)http://www.youtube.com/watch?v=M9aYzwNNldQ
・僕と彼女と週末に(浜田省吾) http://www.youtube.com/watch?v=tDWaV_t1REM
・さよならの向う側(山口百恵) http://www.youtube.com/watch?v=9dsCFcBiGBY
・あんたのバラード(ツイスト) http://www.youtube.com/watch?v=q200PhpqJTo
・さよなら(オフコース) http://www.youtube.com/watch?v=PcCgkso8yDo
・スリラー(マイケル・ジャクソン) http://www.youtube.com/watch?v=4V90AmXnguw
・時代(中島みゆき) http://www.youtube.com/watch?v=o_ukdihI648
・ささやかなこの人生(風) http://www.youtube.com/watch?v=0i9ucMnkGGQ
・銀河鉄道999(ゴダイゴ) http://www.youtube.com/watch?v=qIgMHPFnn4Y
・赤いスイートピー(松田聖子) http://www.youtube.com/watch?v=2Z5zIFoGcg0
・いとしのレイラ(クラプトン) http://www.youtube.com/watch?v=48EZQZtKE1E



相当に楽しそうでしたね。
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平成25年1月松本新年会

松本の老舗訪問シリーズということで

上土のホテル花月にて開催で再募集です。

同窓会参加者は、花月のお風呂にも入れます。

また、遠路おいでの方で宿泊希望の方は
朝食付き一泊6300円
朝食なし一泊4500円
で宿泊も受け付けます。

ただし、宿泊希望の方は今月中にお申し出ください。

改めまして、正月会の告知です。


開催日   平成25年1月2日(水)

時 間   入浴は4時くらいから可能だそうです。
      宴会は午後5時30分から

会 場   ホテル花月
       長野県松本市大手4-8-9
         0263-32-0114
        お店ホームページ 
        http://hotel-kagetsu.jp/

会 費   6,000円(いくらか安くなるかも)

お待ちしております。

幹事 2組小林

秋の松本会について (10月20日(土曜日))

秋の松本会について幹事の川舩さんからお知らせがありましたので掲載します。




松本は今、稲刈りとそばの花真っ盛りです。

ご無沙汰しておりました、秋の松本会幹事川舩です。
いよいよ1ヶ月前告知の時がやって参りました。

時は10月20日(土) 18:30、所は伊勢町夜噺
 →  http://ohtaki-gp.net/yobanashi/
皆様の心強いご協力のおかげで大きなお部屋を確保できましたこと、厚く御礼申し上げます。
また、大きなお部屋は28名までOKということなので、そろそろ10月の予定が立ちそうで参加可能になった方のご連絡をお待ち申し上げております。

・・・さてと・・・
秋の松本会のテーマは「アカデミック」です。
本会に参加の皆様にぜひとものお願いがあります。
当日の話題に取り上げたいので、皆様が直近で読んで心に残っている本の情報をお寄せください。

ジャンルは全く問いません。
文学でも、何かのマニュアルでも、お料理のレシピ本でも、ゲーム攻略本でも、写真集でも、マンガでも何でも結構ですので、書名と作者を、必ず川舩個人のメール宛にお知らせください。
現在新刊は年に8万点、既刊は60万点と言われています。
その中から選んでいくには情報が必要です。ぜひ面白い本を紹介しあえればいいなぁ・・・


また、本会に先立ちまして、16:30より行うサプライズ企画の概要のご説明をさせていただきます。
名づけて「江戸松本城下町ミステリーツアー、怪しい探検隊ぶらり散歩」
 ・集合時刻 16:30
 ・集合場所 松本城東側 博物館玄関前のベンチ
 ・所要時間 約1時間半程度(まぁそのまま本会へなだれ込むべぇ)
 ・諸注意  歩きやすく、しかも決して怪しまれない服装で、ただし懐中電灯があるといいかも(途中で暗くなるなぁ、たぶん・・・)

今回は松本城南一帯にひっそりと遺されている江戸時代の痕跡を巡るお散歩を企画させていただきました。
ご案内は 幹事川舩、最小催行人数1名より承りますので、こちらに参加希望の方も川舩個人のメール宛ご連絡ください。




詳細は32回生のMLでご確認下さい。

32回生有志による乗鞍登山

飯沼さんから,32回生有志による乗鞍登山の様子が報告されました。




ご報告

昨日は計画通り乗鞍に行ってまいりやした。
一行は7名。
幟旗を立てるほどではございませんが、足し算すると7名で350才オーバーの、少し歩くとすぐ休む立派な初老のおっさん、おばさん軍団で3,000mの高峰を制覇しました。
ってまぁ畳平2,700mまで車なので、300mちょっと登っただけだけどさ・・・
ちょっとテッペンは寒くってさ、ダウン着てるやつもいてさ、やっぱ3,000mだわ!とやわな俺らは妙に納得しただけだけどね。おほほほ。

 おかげさんで10に1くらいの良い天気に恵まれ、北は焼岳、穂高、槍、白馬【写真】

【のりくら1 正面の雲の右が奥穂、前穂でそこを結んで中華鍋の底のようになっているのが吊尾根で河童橋から見える風景。奥穂の左で雲の中にポチっとトンガっているのが槍。焼は中間の緑の山でテッペンがちと白いやつ】南は御岳の雄姿がくっきり。

のりくら1

のりくら2

のりくら3

ほんで、ちょっと登り足りない俺らは来年はどこへ行く?という話で盛り上がりつつ
男性陣は駅前で反省会をして無事解散。

ちなみに乗鞍は10月初旬から中旬が紅葉の見ごろのはず。
あ~こりゃいいわ~と思った方是非どんぞ。

訃報 安田美弦くん

悲しいお知らせです。
6組の安田美弦くんがご逝去されました。
余りに早すぎます。安田くんのご冥福をお祈り致します。

安田君scan_215




彼について覚えているのは、たしか、暗いGuitar部室で、なぜか(軽音?の)安田くんが、Guitarを弾いてくれた事です。
Semi Accoustic の E. Guitarを使ってました。
当時は、必死の形相でSolid body/single coilを弾く事が恰好いいみたいに思ってましたが、彼はそれとは反対に、優しい顔で、優しく一つ一つの音を大事に弾いてました(たぶん、LennoかStones)。
その余裕感が気持ちよくて、こんな世界もいいなと、思ったのを覚えてます。
卒業後、会うこともなかったですが、この週末はその音が再来して、頭の中でendlessに響いていました。

ご冥福を深くお祈りいたします。

荻原


32回生の皆さま

9月8日、宮渕の法祥苑で執り行われた安田君の葬儀・告別式に行ってきました。
正直言って、式場に着くまでは本当に現実のことなのか!
何かの間違いではないのか!
受け入れることができませんでしたが、会場正面の遺影は、まぎれもなく安田君、その人でありました。

葬儀は、彼らしく音楽に包まれながら、多くの音楽関係者や幼馴染に見送られてのものでした。
詳しい病名はわかりませんが、
昨年の11月、喉に異変を感じてからが始まりだそうで、約10か月の闘病の末のことでした。
その間の、彼の心情をはかり知ることは困難ですが、音楽活動を妨げる如何なる状況も許さない!必ず勝つ!
という強い思いで奥様とともに闘っていたようです。

そんな彼の勇姿が垣間見える映像が、YouTubeにアップされているので、ご紹介します。
「ひるとくテレビ ユキヱ with Friends」のキーワードで検索していただければHitすると思います。
2012.6.26に放送されたものです。

奥澤


7組の宮澤(松田)です。
この度の安田くんの訃報は、ホントに、思いがけないもので新聞でそれを見たときは、何も言葉が出ませんでした。
安田くんとは、高校三年間同じクラスで、入学当初、隣の席の安田くんだったので、とても印象深く記憶してます。
なんといっても、一年の時の最初のクラスコンパ。。。
当時は、6組。
彼のギターの音色と、その歌声は、一生忘れることはできないと思います。
たぶん、その場にいた、旧6 組の面々は、皆同じ感動に包まれたと思ってます。

hey jude

3年前になりますか。。。
30年ぶりに再会しました。。。
彼のコンサート会場で。
たまたま、彼のブログで、彼が、CDを出しているのをみつけてメールを出したことから、お誘いを受けて、行ってきました。。。
相変わらずの飄々とした感じで話をする彼を、時が経っても変わらないんだな・・・となんか安心したり、懐かしんだりするひとときでした。
たまたま、同席した彼の教え子の親御さんと、安田先生の魅力をお話できたのも、なんか彼の人柄の良さを再認識できたときでした。

葬儀には、参列できませんでした。。。
信じたくない自分がいて。情けないのですけど・・・
奥澤くんから、このように、ご葬儀の様子を知らされて・・・

ありがたく思いました。
今さらですけど。。。
安田くんのご冥福を祈るばかりです。

宮澤

第64回諏訪湖湖上花火大会

第64回諏訪湖湖上花火大会

毎年恒例8月15日の諏訪湖湖上花火大会

4万発の花火ショーに50万人が酔いしれたそうです。

http://www.suwako-hanabi.com/kojyou/

9月1日には新作花火大会も開催されるそうです。
花火を見たい方,計画してみてください。

2012山形じゃんずら(花火大会)

8月15日と言えば,諏訪湖大花火大会ですね~。
花火大会の規模はぴか一ではありますが,松本からの見学はちと大変。
大渋滞の上,臨時駐車場からの歩く距離もある。
臨時電車も満員すしずめで,上諏訪駅では入場制限まで出る大さわぎ。

というわけで,近場で楽しめるのが山形村の花火大会。
山形じゃんずら
ですよ。
http://www.vill.yamagata.nagano.jp/forms/info/info.aspx?info_id=22969

会場周辺は,交通規制がひかれますが,少々遠方からも
打ち上げ花火とスターマインを楽しめます。

本日は,午後から天候不順で雨降りですが,花火大会の始まる20時15分頃は大丈夫では。
市内からは南西方向に見えると思います。

私も出かけて見ます。

信毎選賞受賞記念 柳澤寿男指揮 バルカン室内管弦楽団松本公演





32回生の皆様

夏の松本会夜の部、大盛り上がりの香り感じてきましたよ!
いっしょに「チョイ顔出し」の塚本くんが、「なんかこっちの方が平均年齢高そうな気ィしねぇ?」と言うのに、妙に同感・・・。いえいえ、皆さんホントに上手に年を重ねていらっしゃる(笑)。

<中略>

ところで、秋はアカデミック路線ですって!
ひとつ提案してもいいですか?
秋の松本会の約2週間前の10月8日(月)【体育の日祝日】にアカデミックの名に恥じないコンサートがあります。
→栁澤寿男指揮 バルカン室内管弦楽団 フォーレ「レクイエム」他 キッセイ文化ホール(旧 県文)
それを聴いて、10月20日には語り合うっていうのどぉ?
チケット? はいはい。野尻が売るほど持ってま~す。
栁澤寿男氏は、下諏訪出身の若手指揮者でイケメンです。
ヨーロッパの火薬庫と言われるバルカン半島。今も民族紛争できな臭い場所ですが、音楽が民族間の架け橋にならないかと楽団を設立。このあたり、国際問題に詳しい方、どんどん語ってください。
とにかく、とーっても素敵で、しかも人道的な方が指揮者です。
尚学塾にもお呼びしお話しなさるそうなので、もし私たちも行ってもいいようならまた情報流しますね。
コンサートの詳細は↓
https://info.shinmai.co.jp/event/data/201210_balkan.php

というわけで、秋の待ち遠しい旧姓古池でした。あ、4組で音楽部のね。



信毎選賞受賞記念 柳澤寿男指揮 バルカン室内管弦楽団松本公演
期日・期間2012年10月8日(月・祝)

会場キッセイ文化ホール(長野県松本文化会館)大ホール

時間14:00開演(13:30開場)

料金 (入場料・参加費等 税込)一般3,000円、学生(小中高大生)1,000円
※全席自由、未就学児入場不可



主な内容
 音楽が平和の架け橋に・・・民族対立が続くバルカン半島に単身乗り込み、奇跡とも言える多民族オーケストラを結成した柳澤寿男さん。民族共栄のハーモニーが初めて長野県に響きます。

 バルカン室内管弦楽団は2007年に柳澤寿男さんによって設立された、バルカン半島での民族共栄を願うオーケストラです。柳澤さんは音楽の力でバルカン半島の平和を実現しようと、紛争地域内の都市で精力的な演奏活動を行ってきました。この活動が評価され2011年、第16回信毎選賞を受賞。この度、同オーケストラを率いて県内初の松本公演が決定。戦争や東日本大震災などで犠牲になった方々への鎮魂の意を込めて「フォーレのレクイエム」などを取り上げます。

【出演】
 指揮:柳澤寿男(下諏訪町出身)
 演奏:バルカン室内管弦楽団
 ソプラノ:シャーロット・ドゥ・ロスチャイルド
 バリトン:直野 資
 児童合唱:SK松本ジュニア合唱団
 合唱:柳澤寿男とフォーレのレクイエムを歌う会
【プログラム】
 フォーレ:「レクイエム」全曲(第2稿)
 岩河智子:「夕焼けの向こうに」(童謡『夕焼け小焼け』をテーマにした本公演のための委嘱作品)
  1. 朝のわらべうた
  2. 祈り
  3. 祭り
  4. 夕焼け小焼け
  5. おやすみなさい
 ショスタコーヴィチ(バルシャイ編):「室内交響曲~ファシズムと戦争の犠牲者に捧ぐ」
 バルトン・ベチリ:「スピリット・オブ・トラディション」
  1. インパクト
  2. サバイバル
  3. ダンス
 ※演奏予定曲目は変更になる場合がありますが予めご了承ください

2012年夏の松本会

晴天の松本会は,19時から予定通り沢山の皆様の参加で始まりました。
場所は,奥澤幹事が中学の同窓会と同じ会場開催を狙って
きらら 自由が丘 かに谷
女鳥羽川北側でカニを食する会となりました。
参加者は20名,帰省して駆けつけてくれた人もいて盛り上がりました。

冒頭幹事より,昼の部の中止と本日の快晴の美ヶ原について報告がありました。

幹事からお詫びの報告1

幹事からお詫びの報告2

その後,参加した皆さんからそれぞれの近況報告等行いまして,大いに盛り上がりました。
ところが近況報告どころか,皆さん,登山に備えての準備をしていた話ばかり,
幹事さん,恐縮することしきりなり。

参加者の皆様1

西村君は,仙台の広い平野で週末は自転車で100km快走しているようですが,アップダウンが無いのが今ひとつとか。今度大阪大学の博士課程に入学したそうです。


参加者の皆様2

松島君も飯沼君も自転車をやっているようです。ツールド美ヶ原に参加したようですよ。
米山君は,本日の快晴を受けて,美ヶ原登山を夫妻でされたとのことです。

女性の皆様

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SE社の納税額でS市補正予算となったと言う話をするK氏。

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塩野君は,深志会館での志音会での練習をして来たということで,トランペット持参で参上。


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最後は,神野団長により,「自治を叫びて」で締めとなりました。

sR0010125.jpg

今回の参加者:
飯沼君,奥澤君,神野君,松島君,米山君,武井(学)君,武井(浩)君,小林君,宮澤さん,大野さん,上條(浩)君,清水さん,大野田君,上條さん,石川さん,西村君,戸枝君,内川さん,塩野君,塩原。
合計20名の参加となりました。


晴れちゃってゴメンネ。何か企画しないと

二次会で,飯沼幹事は,次の企画を考えねばと申しておりました。




2012年夏の松本会。盛会の内にお開きとなりました。
今度秋は,10月20日だとか。

皆様ご予定下さい。

美ヶ原トレッキング企画中止決定翌日の12日は快晴なり



美ヶ原組各位

 アホ幹事1号 いいぬまです。
 朝、完全に判断を誤ったことを、カーテンからこぼれるつよ~い朝日で知りました。

 すんませ~ん。
 おくちゃは保険をかけて、朝一度集まる案も出してくれたんだけど、失敗失敗。あたいのセイだ。

 まぁ、ウジウジしててもしょうがない。この際、暇だし、美ヶ原に登っちまおう!と考えて、
単独で登ってしまいました。ハハハ。
(誰か誘おう!と思ってけど6時だったので止めました。ジジは早く目が開くんだわ。)

 40年ぶり?だけど良い所でした。もしよければお盆にどうぞ。

                                いいぬま拝





美ヶ原高原

美ヶ原高原2

百曲がりを行く

やっぱこれでしょ




夏の松本会
美ヶ原トレッキングを楽しみしていて
泣く泣く参加を見合わせた皆様
なんと
早速飯沼君からレポートが上がってきました。

米山さん夫妻で9時過ぎから登られたそうです。
百曲がりは50以下しかカーブは無かったとか。

確かに下界からみても,美ヶ原山頂は終日雲が無い様子でした。

「夏の松本会」昼の部

お知らせで~す。




「夏の松本会」昼の部

大変残念なお知らせですが、
明日(12日)の美ヶ原トレッキングは天候不順のため中止することとしました。
本日15時より幹事で相談した結果、
明日のコンディションの改善が見込めないことから、
そのような判断となりました。


楽しみにしていた皆さま
本当に申し訳ありませんでした

その分、【夜の部】は盛り上がりましょう!

幹事 おくざわ いいぬま



32回生「夏の松本会」開催のお知らせ

皆様毎日暑いですね。
九州地方は過去に無い豪雨に見舞われたということで,自然の恐ろしさをまたも見せ付けられました。
被災されました,皆様にお見舞い申し上げます。

さて,ミニ同窓会のご案内が届きましたのでご案内致します。




32回のみなさま
「夏の松本会」幹事の 奥澤 です

梅雨が明け暑い毎日が続いています。
そして、・・・
そろそろ、夏の予定が見えてきている頃かと思われます。
そこで改めて、
【昼の部】&【夜の部】のご案内をいたします


☆日にち:8月12日(日)

【昼の部】美ヶ原トレッキング(百名山のひとつ)
 ・ルートは、「三城-百曲り-塩くれ場(美しの塔)-王ヶ頭
        -王ヶ鼻-・・・-三城」
  のいわゆる百名山ルート!
 ・お昼は、お弁当持っていって王ヶ鼻か王ヶ頭ホテルで
 ・帰りは、浅間の名湯 枇杷の湯でさっぱり!

【夜の部】きらら 自由が丘 かに谷
 ・松本市大手2-1-4(松本駅から徒歩7分)
       0263-39-3994
 ・19:00~ (飲み放題!)
 ・会費:お1人さま5,000円

人数を確定する必要がありますので、
7月末までに、メーリングリストにて参加表明願います。

もちろん、
【昼の部】だけとか【夜の部】だけでもok!
両方だともっと大歓迎です!!!
ちなみに、表明のしかたは・・・

【昼の部】参加/不参加
【夜の部】参加/不参加

みたいな感じでしてもらえると助かります


皆さまからのたくさんのおもうしこみをおまちしてます

「夏の松本会」幹事 いいぬま、おくざわ




参加をお待ちしております。

32回生春の松本会 開催報告

松本城の桜の花がまだ咲かない肌寒い日ではありましたが4月11日(水)に春の松本会が開催されました。
今回は,かの松本館を会場に,東京会場とネット中継するという趣向で大変盛り上がりました。


久しぶりに乾杯


前菜
お料理

前菜のアップ
前菜

椀物
椀物の御椀

焼き物
焼き物

鳳凰の間への階段にある思う壺
廊下にはこんなものも

2元中継
今回は東京の会と同時開催によりインターネット中継による2元中継が実現しました。

校歌斉唱
何と校歌斉唱も2元中継で実施。凄い!

鳳凰の間
ところで松本館といえば,有名な鳳凰の間がこれであります。

鳳凰の間ライト
年代物のライトが下がっています。

鳳凰の間正面
正面はこんな感じです。

鳳凰の間正面左
蘊蓄は,松島さんにお聞き下さい。

鳳凰の間後ろ
後ろはこんな感じ

鳳凰の間後ろの欄間



締めの挨拶
無事お開きでございます。

今回の参加者
最後に全員で鳳凰のまで記念撮影です。

それでは次回は,お盆ですね。

2012年春の松本会

東京では,桜開花宣言が出るのでしょうか?

さて,いよいよ近づいて来ました。
32回生の2012年春の松本会。
今回は,結構気合が入った企画ですよ。
時期的に桜には少々早いかもしれませんが。。。。

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開催日: 4月11日あ(水)
会場:  松本城で花見をして松本館で宴会
予定:  18:30 松本城黒門の前あたりに集合
     19:00 松本館
会費:  超お得設定ですが,松本館ですから,やはりそこは。。。

備考:  東京会と同時開催(ネット宴会は実現するのか!?)
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ということです。

参加表明 3/27現在 14名ということですよ。
皆さん,会場の都合もありますので,早めに幹事に連絡下さい。
詳細は,MLでね

2012年春の松本会の予定

2012年春の松本会の予定

松島さんから下記の通りお知らせがありました。

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開催日:2012年4月11日(水)
会場:松本城で花見をして松本館で宴会

今回の趣旨は
◎松本の宝 松本館で一杯やろう
http://takara.city.matsumoto.nagano.jp/national/034.html
◎日本の宝 松本城で花見をしよう

◎世界の宝 東京会のみなさまと同時開催してNET中継しよう

会費は結構高くなると思います。
趣旨に賛同できる方、賛同できない方もいるかと思います。
賛同はできても日程が無理~という方もいるかと思います。
一切の責任は主幹事の武井君にあります。

強制でもなんでもありませんので
面白いと思われる方は今から日程調整をお願いいたします。

主幹事:武井君,下働き:戸枝君,松島
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2012年新年松本会(1月2日開催)

2012年新年松本会

新年会やりました。
舶来凡蔵で17時開始でしたが,同場所での2次会ということもあって
23時でお開きとなりました。
帰省して参加して下さった皆様ありがとうございました。

2012年新年会の様子

葵鶴 大吟古酒
神野君から頂きました。葵鶴 大吟古酒。(生原酒も美味しかったです)


新年会最後は自治を叫びて
団長コールで,「自治を叫びて」で中締め

2012年新年会参加メンバ
参加して下さったメンバ
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参加者

1組  松島君,今井君,小林(み)さん,
2組  床尾君,下郡さん,小林君,
3組  神野君,胡桃君,
4組  赤羽君,高橋君,
5組  米山君,上條君,
6組  武井君,金井君,戸枝君,上條さん
8組  大野さん,西村君,塩原

途中,8組小野君も顔を出してくれましたし,
終了間際に奥澤君も顔を出してくれました。
皆様ありがとうございました。


次回幹事の松島君のレポートは以下の通り
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昨晩は松本・舶来凡蔵にて新年会が開かれました。
・近況報告あり
・灘の酒持ち込みあり(神野君に感謝!)
・八海山持ち込みあり(PIPI小林さんに感謝!)
・衝撃の発表あり
・今だから言える暴露話あり
あげく、たくさんお酒持ち込んだのに飲み代オーバーって・・・。
ちと古いが“みなさんどんだけ~~~”


一体何があったのか!?
・・・それは
・・・出た人だけが知っている
= 出てない人はわからない

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尚,飲み代オーバの際に集金しました残金は次回のお花見会への繰越としました。
よろしくお願いします。

2012年新年会(松本)開催します。

2011年も残り1日となりました。
2011年は本当に色々な事がありましたね。
2012年が良い年になること願っております。

という訳で深志32回生新年会やります。

現在19名が参加予定です。
■新年会詳細はメーリングリストで確認してね。

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★日 時:2012年1月2日(月) 17時~

★場 所:舶来凡蔵 (松本女鳥羽川沿い)

★会 費:5000円

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幹事は,1組小林さん,8組塩原です。
松本に帰省して,都合の付いた方,顔を見せてくださいね。

2011年ミニ新年会@松本

 皆様今年のお正月如何お過ごしでしたでしょうか。

 既に新年にお仕事を始められた方,あるいはもう少し年初のお休みで休養されている方もいらっしゃいますでしょう。
 さて,MLでも紹介がありましたように1/2の17時から松本市内で32回生の新年会が行われました。
 女性人3名に加え,10/2の記念同窓会に参加出来なかったメンバも数名も加わってミニ同窓会で盛り上がりました。
 シャンパンでの乾杯の後には,米山さんより32回生が教育会館のステージに寄贈した校章の贈呈の様子が紹介され,
 引き続き会場に持ち込まれたプロジェクターで,リニューアルしたDVD(デジタル・リ・マスター版)も上映されました。
 また,ブルゴーニュの年代物ワインである ニュイ サン ジョルジュの試飲会も行われ大盛り上がりとなりました。
 途中から参加した松島さんからは,改めてDVD制作秘話も紹介されて,あっと言う間に5時間以上が過ぎ,2次会に突入ということで相変わらずの元気のよさです。
 東京でも会が定期的に開催されるという話もあります。皆様MLに登録して確認してみて下さい。



教育会館に32回生より寄贈された校章幕
教育会館に寄贈された校章幕について
米山さんより紹介がありました。


ニュイ サン ジョルジュの試飲会
1978年ものの「ニュイ・サン・ジョルジュ1er/テュデ・ノーダン」が柳沢さんより提供されました。


リニューアルDVD画像を一時停止して昔話に
30年前の写真に見入り,卒業写真で大盛り上がり。
デジタルリマスター版なので顔もしっかり判ると好評でした。

参加者の写真
夜中まで盛り上がりました松本会。
盆と正月位はやりたいね。という話になりました

2011年新年会

新年明けましておめでとうございます。

皆様如何お過ごしでしょうか?
山陰地方は大雪とのことですが,今年の元旦は大変天気に恵まれました。
雲の無い深い青空に三日月のお月様を西の空に見ながら,
オレンジ色に染まる朝焼けは,まるで上空高い飛行機から眺める様な
景色でした。やがて東の空から上り来る初日の出を拝むことが出来ました。
東京からは富士山を見ることもできましたね。
皆様にとりまして,良い一年になりますように祈念申し上げます。

それにしましても,昨年10月2日の30年記念同窓会の事を思い出しますと,懐かしい仲間がよくもあれだけ盛り上がれたものと感慨深いです。
という余韻もありまして,新年会をやりましょうというお誘いメールがMLから参りました。
(32回生でMLに登録されていない方,是非登録下さい。)

帰省されている皆様,どうぞ,ご都合をつけましてご参加下さい。




深志32回生によるミニミニ新年会&記念DVDみんなで見よう会

日時: 1月2日(日) 17:00~
会場:  舶来凡蔵
http://www.mcci.or.jp/www/gourmet/sirosyuuhen/hakuraibonkura.html

会費:  5,000円




記念同窓会の皆様出席者に後日郵送配布されましたDVDのメモリアル
フォトアルバムのオープニングスライドショーにつきまして,画質が今ひとつ良くないのではというご指摘がありました。
この度,
デジタル・り・マスター版が完成しました。
デジタル・リ・マスター版の高画質DVDが出来たということで,その鑑賞会も行うということです。

是非お越し下さい。

本年が皆様にとりまして良い年になりますように。

30年記念恩師寄稿(小林先生)

32年前の

8組担任 小林先生



―32年前の原文のまま―
 今日は恐怖だった。あのライティングが当た、当たったのだ。黒板に出て書くなんて、めったにない恐怖だった。この分だと雨だと思っていたら案の上、雨が降った。でも変える前にモチに会ったので、こりゃやむぞと思ったら、やっぱりやんだ。⇒山中君がサッカー部の主将になり副は酒イ君になった。⇒政治・経済という授業は精神衛生上よろしくない。なんとかという人の言うには我々は契約をしているそうだ。何と?国家と。そんな契約をした覚えはないのに。⇒もちろん合唱練習のことから始めます。。。演奏者は練習の過程では“音を楽しむ”じゃなくてむしろ“音に苦しまされる”のではないかと思う。そして結果として“音楽”になる、苦しまずして楽しさを味わうことができようか。⇒僕のイニシャルはY.K.よって義政氏と同じなのである。よってH.R.T認印にはなんとなく親しみを覚えたりする。⇒毎日きちきちとした生活をすることはよいことなのでしょうか。よく言うと規則正しい生活、悪く言うとワンパターンの生活、さて。。。?⇒今、ある時は不買運動がどうとかこうとか言われていたしまやでは、深志生に限ってキリンレモンを1本50円で売っているそうな。はたして店主の心の底にあるものはなんであろうか。⇒明日はみんなでオソージおばさんとオソージおじさんになって地球を、いえ教室をきれいにしましょう。⇒少なくとも私は人畜無害な存在には、まるで興味はない。“並の人間ではない”と人に言わせるだけの何かを持った人こそ、人畜有害な存在であり、私はそのような人に圧倒的にひきつけられるだろう。⇒コンパ延期らしい よってマー○。○大会も延期されることになった⇒林君の超大作を読んでいたら眠りに落ち込んでしまった。ゆえに3行しか書けなかった。⇒国体のリハーサルとかでかり出された。朝九時に集まったが2時間も何もしなかった上に3時間も立ったまま。。。1人たおれ2人たおれ、かわいそうに白いミニスカートをはいたまま運ばれ、そこをNHKのカメラマンにとられてしまった。⇒最近はよくビートルズを聞きます。何となく彼らのかなでる音楽が私にぴったりくるのです。YESTERDAYなんか特に好きです。⇒自分の興味だって刻々と変化していくし、内にひめられている才というものもわからないのに。我々は永遠の翼を持っているようなもので、おもいっきりはばたくことができるのです。⇒首(あごのへん)→神経→脳→目がたれる→口がほころぶ→体がもぞもぞしてくる→ウフフフフフフ―――ぶぁか!!⇒どうして野沢北は勝てて深志は勝てないのか どうして上田は勝てて 深志は勝てないのかどうして松商は(以下同文)⇒眠くて眠くて、僕の退屈さを盗んでくれるのは何だろうか。⇒きょうは現国と政経がつぶれて、身体検査になった。どうせつぶれるなら、もっと他の教科がつぶれてほしかった。⇒はじめは男の声かとまよいましたが声がとてもいい感じでした。そのイルカも残念ながら中学2年の秋でまくをとじ、ぼくが高校へいくのに勉強のさしさわりがないようにしてくれたのです。⇒よしまさ先生無事退院5日ぶりに登校する かまきりのようにやせこけた⇒我ら4人は現在「クラスの女子を美人順にあげると4人のうち誰が最後に残るか」。。。「このたびのヨシマサ氏の。。。」の3問題について議論中である。⇒高2も終わりが迫っているけど、遊び足りない。『誰かぼくと遊んでくれませんか』。。。昔はよかった。真からアホになって、アホイことをやった。⇒今日の5時15分、六九でバスケット同好会の友達が大金を拾った。ボーナスのシーズンだ。謝礼がたくさんもらえます。そのお金でチーズBitをおごってくれると、言っている。⇒せっぺせっぺとはたらいて高い金もらって男の人生せつないよ 今は惰性で日がすぎるからいいけど一生惰性で金もらって生きてたら意味ないし大学行くのも惰性を求めて金を払って生きるためかもね。⇒午後は年に一回の合唱コンクールが催された。。。結果、銅賞!!。。。講堂でやった万歳は気分がよかったなぁ。⇒あすから夏休みだ バンザイ。以上⇒今年の夏もなんだか知らんうちに過ぎてしまい。。。目のおくにのこるのは、京都のかわいたアスファルト、アサヒビールの1?カン。長野県の数学問題集と。。。それからルソーの学問芸術論。⇒奈良の街は明るいです。まるで天平のあの明るい素朴さを今に伝えているかのようです。あの街を一人で歩いてみて、本当にいいなあとおもいました。新薬師寺への道のくずれおちかけた土壁、春日神社のささやきの小径。。。⇒たとえばおひきずりさんとか酒乱童子などの出場場面。それに声がちょっと考えていたのとは大違い。でも見るとケタケタと笑ってしまう。何度見てもおもしろいものである。⇒時があっという間に過ぎ去っていく。なんだか自分一人が取り残されているようでさみしい。木々の葉がいつのまにか色づいて枯葉の季節。⇒君は今のサッカー部の現状を知っているか!かつてない大きな断絶が監督と選手の間で。。。S B C杯を数日後に。。。彼は我々に全く見向きもしない。⇒コバシュンもこの間言っていたように「トンボ祭は他校のものとは違っていた」現在のトンボ祭はどうであろう。。。僕はでっかい絵をかいてやろうと思う。そして来年のトンボ祭に出そうと思う。⇒青春なんてよく使われる言葉だけど、あれだけ感動し、涙し、陶酔できたものだから、そしてトンボ祭だけに燃えたんじゃなくて、思いっきり練習もしてきたのだから。⇒音楽に言葉はいらない。芸術に言葉はいらないのです。一切の思考をはぶいて体で感じるものそのものです⇒8月恐怖の合宿の終わった日の夜の汽車で、奈良へ行った。。。とくに秋篠寺の伎芸天は、すごくよかった。ありは、ぜったいに、みればいい仏さんだと思う。⇒ところで本日は我らが初代校長小林有礼様の御命日でありました。。。それだというのに今日の生徒大会は何だ。一度でいい、僕は1000名以上が参加した生徒大会を見てみたい アア、願ひ。⇒「わか
んないんなあー」これが今までこの日誌にかかれているすべてを黙読した感想なのです。人を理解する事はむずかしい事なのだと知っているんだけど。。。でもおもしろかったよ 個性ゆたかでとっても⇒自由だ!個々に任せろ!とかいって、個人というものは、そんなに強いものなのか。トンボ祭は深志全体の行事なんだから、個人ばっかり強調するのはおかしくかんじる
 以上僕の感想⇒今日よく読んでみたらみんながあまりにもたくさん書いているので私も負けてはいられない気がしてきたのだ。それとは関係ないけど みなさんROCKを聞きましょう!!⇒我サッカー部が負けてから早4日がたとうしている。。。上田戦の黒服の主審のホイッスルの後の3年生の顔を思い出すだけでつらい。言ってやる言葉がない。大声で泣きたかったろうに、おれだって。来年は必ずインターハイに行くんだ!⇒Ah... Oh... / Come from the land of the ice and snow / From the midnight sun / Where the hot springs flow... ⇒この組はなんてクラスなんだ。席替えをいやがるなんて、ぼくはあの席にいるおかげで体重は減りおまけに血圧は上がり、おこりっぽくなっている。どうも席変えをやりたがらなんのは、後ろのサッカー部の人々の様だ。⇒⇒⇒最近日誌が私の手元に来ることがばったり途絶えてしまいました。私も見捨てないでください。世界の流れに取り残さないで下さい。なにせテレビのない生活に入って久しいのです。
(2010/11/吉日 Yoshimasa KOBAYASHI)

30年記念恩師寄稿 (浅輪先生)

深志の精神って何?

7組担任 浅輪先生



 三十二回生諸君、卒業30周年の記念式典おめでとう!
 140余名も集まるなんてすごいなと思いました。大きく成長し、自信に満ちた諸君の顔を拝見し、何かこみ上げてくるものがありました。深志で共に過ごした三年間が如何に濃密で、忘れ難い青春の日々であったことの証左でありましょう。中には卒業以来の拝眉の面々もあったが、飲むほどに、話に花が咲くほどに、皆あの頃の顔に戻ってきて、懐かしく、楽しいひと時でした。
 ところで、そんな君たちの心を惹きつけた深志精神とは何であろうか。自由?自治?真理の探究(学問)?それとも生涯の友作り?校歌には「自治を命の若人は・・・」「深き真理を探りつつ・・・」とあるし、「自治の大旗翻し・・・」と応援歌にもある。全国的に見ても、深志というコミュニティーは、良きにつけ悪しきにつけ、確かに、特異であり、旧制高校的要素を多分に残している、今風に言えば、「教育特区」と言えるかも知れない。これがともすれば、深志モンローに陥る危険性も無きにしも非ず。心すべきことではある。
 ともあれ、初代校長小林有也先生の言葉の一つ、「世の悪風に染むことなかれ!」という言葉の奥に、松中時代から脈々と受け継がれて来た、深志精神の真髄があるように思う。私たちは、ともすると世の荒波に翻弄され、付和雷同し、自分を見失ってしまいがちである。「自分自身に恥じない生き方」(岡田校長先生がよく口にした言葉)を貫き通すことはなかなか難しいことである。(恥ずかしながら小生は失格です。)今人生の最も充実した時を生きている諸君たちに期待することは、易きに流れず、しっかりと自分を見つめ、自分の信ずる道を真っ直ぐに、そして堂々と歩んで行って欲しい、ということである。例えば、袖下を貰ってほくそえんでいるような姑息な役人・官僚になるな、金儲けに命を懸けるようなケチな人間になるな、地位や権力をカサに威張り散らすような気持の小さい人間になるなかれ、など。(尚学塾22名の立派な講師陣の講義内容に象徴されるように、そんな次元の低い者は諸君たちの中には一人もいないと信じているが)
 どうか、このかけがえのない深志同期生の絆をいつまでも大事にしていってください。お互い声を掛け合い、刺激し合い、切磋琢磨しながら更なる友情を深めていって欲しいと思います。
 最後に、諸君たちの在学中、ろくな指導も出来なかった小生の無能を心よりお詫びすると同時に、「浅輪さん」と、親しみを込めて(と勝手に思っていますが)呼んでくれた諸君の心の広さに感謝します。ありがとうございました。それぞれの道で頑張ってください。健康にはくれぐれも注意して。


30年記念恩師寄稿(村上先生)


出会い
六組担任村上先生



・あの時の出会いに感謝思い出尽きぬ三十二回生
・皆さんの志学の頃のその出会いわれはそのころ三十五
・私の全ての面の足らぬとこ補ってくれたあなたがた
・出会い時の年齢の差は倍以上いまその年齢比五対七
・みんなにはチイサク見えたであろう今日のわれ
・心理映像正直だ皆さんはいま人生の成熟期
・名を告げて老いたるわれの席に来て話してくれた君の優しさ
・今日もまた粗野な言葉で応じつつ最後の一会と思う私

  宴のはじめ旧 担任挨拶の時
「今のルールに従えば、首がいくつあっても足りなかった私」と始めた途端に多くの視線を感じた。こんな話しか出来ない私。今も昔も変わらない。
「昔のルールだって首だった」とか
「まだ生 きてたの? 」とか野次多数。

  宴のなか御 婦人からのお説教
「さっき先 生の最近の趣味の話聞いたけど何 か忘れているものあ りゃしない? 」
「ガーデニングに書道にカラオケ。」と復唱し
「みんな人生の主要科目だよ。」と続けたら
「ほら忘れてる。先生の保健体育も人生の主要科目でしょっ! 」「 ウン? 」
「御自分の健康管理。大事でしょっ! 」
「・・」

  宴のなか名 前出て来ぬある男子
「先生俺 の名前覚えてる? 」
「ゴメン覚えていない。でも覚えていることひとつある。貴方はサッカーのボール扱いが巧かった。」「 ジ ャー俺 は? 」
「貴方は水泳が好きだったは ず。」
「貴方はバスケが上手かった。」
思い出は名前や顔でなく、貴方の好きなスポーツの体の動き、良いプレー。

  宴もお わり近くなって
「飲み屋で友達と飲んでいたら、先生が来て先生に追い出された。」と。
 某君が真面目にそ っと昔 話を始めた。( 在校時のことらしい。全く記憶がない私)
「忘れたよ。それより俺 『 めぐりきぬ』歌いたいなあ」
某君応 管の処へ行って頼んでくれた様子。
直後に「祝記念祭歌」斉唱。
スクラム組んで歌ったね。ありがとう。


  帰宅して
 あの君とは会話が出来ずに残念。確かあの顔は○○さん・○○君。あの君は欠席だったのか。いまど うしているんだろう? 。
 地味で良い。何処に住みど んな仕事をしていても良い。たとえ何かに恵まれなくとも、ガンバれよ! 。子供いるんだろ! 。
 堅実で良い。羽振り良さそうな友を見て考え込むなよ。堅くやってきたんだろ!
 自分の生き方で生きていきなよ。

 「みずからには じることなき生 涯を」
 私達の高校時代の校長岡 田甫 先生が卒業アルバムに残してくれた言葉を皆さんにお伝えして御礼とします。ありがとう。
 また、便りくれよ。必ず返事書くから




30年記念恩師寄稿 (緑川先生)

灯篭

5組担任 緑川先生


 記録的な暑い夏であった2010年の、ようやく秋の訪れを感じる快い晴天の日に、皆さんの卒業30周年記念の集いがありました。その席に旧担任団の1人として出席させていただけたことは私にとって大きな喜びであり、光栄でありました。ご準備くださった実行委員の皆様はじめ、卒業生ならびに関係各位に御礼を申し上げます。
 当時のままの職員玄関、校長室、講堂、そしてその途中の廊下、実行委員を代表しての神野君の堂々たるあいさつ、聞き入る多数の俊英、その粛然たる様、荘重な校歌、まことに感激しました。校舎の前庭の木が一段と高く太くなっているのにも驚きました。今、それらを感謝の念をもって反芻しています。
 あの同窓会館での祝賀会の席では、私は竹と紙で作った深志名物の灯篭についての思い出をお話しさせていただきました。
 校舎の前庭のあちこちにたたずむ親子のサイやカエルなど本当にすばらしいものでした。夕暮れになるとそれらは白熱電球で内側から照らされて一層鮮やかに浮かび上がり、その幻想的な味わいが今も忘れられません。
 3年ほど前から「自分も竹と紙の細工をしてみたい」という気持ちが高まって、ローソクで竹をあぶって曲げていたことなどを思い出し、今の学校の生徒といくつか作ってみたこと、初めは広島と長崎の原子爆弾をちょうど実物大に作り、その翌年は直径2メートルの地球儀を作ってみたことなどの話をさせていただきました。
 竹と紙の地球儀について少し補足させていただきますと、まず球面に世界地図を描き、その図のなかに世界の原子力発電所の所在地と巨大地震の発生場所をマークし、穴を開け、赤と青のセロファンでその穴を覆い、中の裸電球からの光が色づいて漏れ出てくるようにとの趣向でした。これも当時の記憶からの着想でした。日本の原発は巨大地震・大地震の起きる場所に近く立地し、それらが混在する密度も地球上で際立って大きいことが一目でわかるようにとの意図でありました。前年に新潟の柏崎原発のすぐ傍で中越沖地震が起き、あわや大惨事だったとの報道がきっかけの総合学習の授業に「原発と巨大地震」というテーマで取り上げたものの一環でした。
 今年度の総合学習は「地球と火星と割り算」というテーマで、文化祭向けには太陽系の4メートル四方の俯瞰図と8惑星の球体を実際に比にそって作りました。直径75cmの土星には大きな竹細工の輪を取り付けました。
 太陽系を実際の比でイメージしようとすると何種類もの割り算が必要になります。その計算から、たとえば、地球を太陽の中心に据えると月の軌道はまだ太陽の中に、それも太陽半径に中ほどにとか、太陽の直径は地球をちょうど100個並べたぐらいだとか、太陽から地球までは太陽自身をおよそ115個並べた程度の距離だといったことがわかってきます。
 深志とは学力的にも生活力の点でも随分異なり、割り算なども不得意な生徒が多く、少しでも学習意欲の向上につながればとの試行錯誤を続けています。

 
 当時、とんぼ祭中の学校に、眠っていた長女・長男を起こして灯篭を見せに連れて行ったことがありました。まだ明け始めたばかりの早朝ゆえ、誰もいないはずのその灯篭群のまわりで百瀬会長が寝不足の目をこすりながら紙くずを拾っていたなどとの思い出も一緒に話をさせていただきましたが、そのときの子供たちは今や当時の私の年齢になり、子供を連れて(つまり私の孫を連れて)われらが地球や原爆を見に来ています、30年とはそのような時間だったのですね。
 私の場合は、円筒形や球形、円盤といったいずれも単純で作りやすいものばかりでしたが、それでさえけっこう手間ひまのかかることですのに、サイやカエルなどの込み入った形、屋上の上にまで顔の出たあのSSKの巨大な口裂け女など、どれほど乗り越えるべき難しいプロセスがあったことかと、自分でやってみてようやくわかったしだいです。学校に泊り込み、授業に出ずに灯篭作りに没頭していたあの姿は必然でした。
 いまみなさんは、それぞれの部署で、困難ではあるが生甲斐とやりがいのある「オレの灯篭」作りに没頭しているのだと思います。うらやましい限りです。どうかこころゆくまで。

30年記念恩師寄稿 (坂本先生)

純林と雑木林

4組担任 坂本先生




 「深志の森」は標高1400mから1500mに広がる県有林の一部21ヘクタールを借りて、30数年前に深志高校開校100年を紀年して造られた。
 もとは旧本郷村の村有林で、松本市に合併する直前に県に寄付移管された山林であり、地元の人達は山菜や茸、薪や炭を取る場所で、宝の山と称していた。
 昭和48年から49年にかけて、水楢、欅、白樺、栗などの雑木林が伐採され、その後、数年かけて白桧曽(しらびそ)、桧が、生徒の手も借りて植林された。
 現在、尾根筋には白桧曽が大きく育っているが、樹陰は暗く、下草はあまり生えていない。森の下部の斜面は桧が植林され、その育つにつれて、うす暗く下草の乏しい状態にある。
 雑木が伐られた直後数年は日当たりのよい状態のとき、春には片栗、山芍薬、福寿草の花が咲き乱れ、蕨、独活、?の芽などの山菜が豊富に育ち、秋には各種の茸が収穫できた。
 針葉樹を植林したのは、将来有用材となることを期待したのであろうが、森林の豊かさ、植生の多様性の面では純林より雑木林のほうが好ましいと思われる。
 深志高校開校200年を迎える頃には、尾根筋だけでも針葉樹を間引いて、白樺、水楢、栗などとの混淆林を造ってはと願っている。
 今年の夏、百年館に一泊した。水源が土砂崩れで埋まり、水道が使えず難渋したが、深夜に鹿か猪が百年館の周りを徘徊する気配がした時以外は真の静寂を体験できた。

30年記念恩師寄稿(中山先生)

刮目して見るべし

3組担任 中山先生





 卒業三〇年記念のお集まりということで、おめでとうございます。先生たちを代表させていただいて、心からお祝いを申し上げます。
 また、このお集まりに私たちをお招きくださいまして、有り難うございます。皆さんにお会いできて、実に嬉しいです。私は間もなく八〇歳になりますが、こういうことがあると長生きしてよかったと思います。本当に有り難うございました。

 「男子三日会わざれば、即ち更に刮目して見るべし。」という言葉があります。三日会わなければ、次に会うときは、「刮目して見るべし」。つまり目をこすって、よく相手を見なければならないというのです。これは男子に限らず、女性でもそうだと思いますが、人は、三日も会わなければ、その間にどんなに成長しているか分からない。恐らくは、三日前の彼あるいは彼女ではないだろう。だから目をこすって、よく、よく見なくては、相手を見誤るだろうということでしょう。
 原典は中国の「三国志」です。「三国志」の魏志倭人伝はよくご存知だと思います。同じ「三国志」に呉志呂蒙伝というものがあります。呉の孫権に仕えた将軍で、呂蒙という人があって、この人の伝記です。勿論詳しいことは省きますが、正史の「列伝」に名を残した名将です。この名将呂蒙の言葉として伝わりました。紀元三世紀から、いまに伝わりました。繰り返しましょう。
 「男子三日会わざれば、即ち更に刮目して見るべし。」


 三日どころではなく、あれから三十年です。途中で会ったことがあったとしても、いまこうして再会すると、お互いの成長に驚かれるのではないでしょうか。今日はおおいに驚き合って、そしてまた次の再会を楽しみにされますよう期待します。
 今日はほんとうにおめでとうございます。


付記: 原典は「蒙曰、士別三日、即更刮目相待」(呉志呂蒙伝裴松之注)ですが、日本ではこれを意訳して上記のように言い慣わして来たようです。ここでは恩師や先輩に聞いたとおりに紹介しました。「刮目」は目をこすることです。


30年記念恩師寄稿(山田先生)

小人閑居

2組担任 山田先生


 先日の30周年の記念祭には失礼いたしました。どうやら体調も元に戻り何とか過ごしています。他事ながらご安心ください。このたびは老人の戯言を少々記し、責めを果たしたいと思います
 室内で日向ぼっこをしていたら、隣家の飼い猫「すず」が、秋の日を浴びながらゆったりと庭を通り過ぎてゆきました。我が家の庭はこの猫のテリトリーらしく、様子確認のため一回りしている途中のようです。日ごろ見かけているのでこの日も「すず。すず」と呼びかけたのですが。聞こえているはずなのに声のする方を振り向きもせず歩み去っていたのです(静かな昼下がり老人と労猫の何とも気の抜けた状景を想像してください)。この雌猫は、仕草が可愛らしく、その上いつも悠然としていて、我が家の猫としたいと思っているほどなのですが、この日も片思いのままで終わってしまいました。
 今我が家には犬も猫もいませんが、実は40数年ほとんど途切れることなく奉仕してきました。コリー犬(あの名犬ラッシーと同種です)がいた時もありましたが、多くは雑種(今はミックス犬というそうです)でした。彼らを飼うようになったきっかけは様々ですが、犬猫○○と言われるのもいやなので省くこととして、ここでは最後に飼った「さち」と呼んでいた犬について書いてみます。
 「さち」は、佐久川上村にしかいない川上犬という希少犬で、一度は飼ってみたい犬でした。昭和63年我が家に来て、平成18年に19歳で彼岸に行ってしまいました。19歳というのは犬としては長寿です。19年の間にはいろいろありました。いいことばかりではありませんでした。ですが、いまでは、人間も犬もお互いに辛かったことも含めて、私たち夫婦には大切な伴侶であったという思いが強く続いています。
 しかし、私は犬を飼うことを「さち」を最後にやめることにしました。
 それは私たち夫婦が犬を飼ってもその最期を看取ってやれないからです。逆に私たちが犬に看取られることになるかもしれません。まことに寂しいことですが、これは通さなければならないことなのです。たかが犬を飼うか飼わないかということに、通す・通さないというのは、他人には大げさに悲壮がっていることだと失笑されるかもしれません。しかし、現在の私には今後のすべてのことを考えるときに基本になることなのです。生きている間にできるだけ心身共にすっきりとさせておきたいと願っているわけです。できること・できないことを考え、その判断を受け入れて静かに過ごしてゆきたいと思っています。
 今これを書いているのは10月下旬ですが、我が家のさして広くもない庭(密かに「八重葎園」と呼んでいます)の木々も少しずつ色づいてきました。一時老人の目を慰めてくれることでしょう。
 さて、この植木の中に「ブッドレア」というのがあります。この木のことは何も知らずに買って、居間から一番見える所に植えました。これが失敗でした。植えた年からどんどん茂って、後ろの木々を見えなくするは、日光を遮って樹下の草花を絶やしてしまうはで、散々なことになりました。
 だが、この木にもいいことがありました。この木は夏から秋にかけて、10cmほどの花を一杯につけるのです。和名を「藤うつぎ」というように濃い紫色で、花だけ見るとまことに高雅な花です(源氏物語の紫の上を思ってください)。そしてこの花には、蝶を始めとしていろんな虫が集まってきます。暑さの激しかった今年も蝶の舞う様を見て、涼しさを味わうことができました。
 しかし、烏揚羽を2回ほどしか見られなかったのは残念なことでした。黄揚羽は数こそ例年と変わらなかったものの、姿が小さく(これには気候以外の理由もありますが)、見られるようになったのもお盆過ぎと、いつもより遅かったような気がします。蜻蛉にも待たされました。9月過ぎになって漸く姿を見せましたが、数は寥々たるものでした。百舌は飛んできますが、あんなにいた雀はほとんどみかけません。
 こう書いてきたのは、地球の温暖化や環境破壊を言挙げするためではありません。そんなことは私の手に余ることであり、書くにはあまりにもありきたりだと言われるかも知れません。
 烏揚羽は艶やかに光る黒い羽根と優雅な姿に魅せられます。そう言えば前には開け放った家の中に鬼やんまが通り抜けていったこともあったっけ。「止まればあたりに増ゆる蜻蛉かな」(中村汀女)という状景は、中村(私の住所)にもありました。前に書いた「さち」は、ひどいアレルギーを患っていて、痒さがひどくなると脚をなめ続け、皮がむけ血が出ても止めませんでした。私たちができることは獣医から処方された薬を飲ませることだけでした。
 これらのことが復活して再び見たり接したりできることはないでしょう。いわば私の前から消えたものなのです。そんなものを思い出すのは幻を追うことだと思う人もいることでしょう。そう思われても仕方のないことです。
 ですが、私には、今まで経てきた中ですっかり消えてしまい、心に蘇ることのないことのほうがずっと多いのです。これからは今思い出していることでも私から消えていくことがあるでしょう。私はその流れにまかせてゆくつもりです。自分から消えていくこと落ちていくものはそのままにして、なお残ることを大事にしてゆこうと考えています。心はすっかり痩せてしまうでしょうが、清々しくもなるのではないかと淡い期待もしています。
 時間は余るほどあるので本を読むこともあります。本も買ったままで手にしていないものがあるので不足はありません。それにしても理解することが何と遅くなったことか、まあ嘆かずに脳とつきあっています。ここでは最近読んだ二冊についてかいてみます。
 先ずは、「偶然とは何か」(竹内 啓著、岩波新書)
 最初に断っておくのは、私にはこの本の五分の一も理解できなかったことです。高校で確率を教わったのですが最初から全く分からず、大学入試で確率の問題の出題があったらきっと合格できていなかったでしょう。この本では確率についてのことが多く、そこはとばして読んだので、紹介するのは忸怩たるものあるのですが、まあ勘弁してください。(甘えの構造)
 この本の著者は、著名な統計学者・経済学者だそうです。ところが合理主義一辺倒ではなく、不可知論の立場ではなく、簡単に宇宙の摂理(神)によらないところに、確率に全く弱い私でも近寄ることを可能にしてくれました。一言で言えば、人間主義(ヒューマニズム)が本書の根幹にあることが分かったからでした。
 本書で私は、「偶然」が人間・国際社会・歴史・自然等を成立させる大きな要因であることを知りました。それを基本に人間がいかに認識したらいいのかが小気味よく述べられています。やや長くなりますが一例を示します。
 「 そこで重要なことは、歴史的事件がある国や民族の「本性」から必然的に生じたものとは考えないことである。そのことは自国や自民族は本質的に「善」あるいは「優秀」であり、他国や他民族は本質的に「悪」あるいは「劣等」であるとする考え方を生み出すことになる。しかし歴史の経過の中でそのような国や民族の「本性」というのは空虚な概念であって、歴史が多くの外的な偶然条件に左右されること、また多くの人々の決断や行動も歴史的条件に関する「無知」の下でなされたことを知ることは、歴史に関わる国、異なる民族の立場を相対化することに役立つと思う。」(158p)
 しかし、われわれの認識の仕方として「偶然」をも受け入れることが、法則や神意を絶対視する「必然」の視点から私たちを解放してくれたことは事実でしょうが、この世界に起こることには幸運と喜べることもある一方で、戦争・事故・災害といった人間にとって不幸をもたらすこともあります。「運」「不運」や「幸」「不幸」を「偶然」とのみ取ることを著者は「偶然の専制」と言って否定しています。
 著者は、「偶然の専制」とする考え方を解決するのは、人間の主体性を活かした想像力だと言います。運のよかったものが不運な人に同情したり、より幸福を求めて賭をしたりするのは、現実や未来を想像する人間のすばらしい能力だと言えるのです。一文を引用しておきます。(185p)「人間の想像力は偶然というものの理解を可能にし、また偶然は想像力を刺激するのであって、それによって人生はより豊かなものとなるのである。」
 次は、「流離譚上・下」(安岡章太郎作 新潮社)
 これは大作です。作者が厖大な資料を収集して、幕末・維新・自由民権運動の時代を描いた歴史小説ですが、いわゆる大河小説とは異なっています。山内容堂・坂本龍馬・後藤象二郎・武市瑞山・吉田東洋・板垣退助等の土佐藩を動かした人物が出てきますが、土佐や高知の激動期の変遷を描くことは副となっています。主は、作者の先祖、安岡一族の様々な人生を描くことにあります。しかし、時代の変遷の中で自己の志を実現した人物を顕彰したり、逆に変遷に翻弄され滅んでいった人物を追慕したりするといった、作者の感情や主観が強く感じられることはないのです。
 安岡家は農民の出でしたが、経済力をつけて、土佐藩の郷士に取り上げられました。土佐藩の郷士というのは、農地や山林を所有する地主であり名字帯刀を許された武士でもありました。土佐藩の家臣は上士と下士からなり(郷士は下士)、その区別は厳格だったそうですが、詳しいことは省略します。「龍馬伝」などを想起してください。安岡一族は高知市外の一画に四軒の家が境を接してあり、血縁と四家を存続させるために、その間で婚姻や養子縁組を複雑に繰り返してきました。この一族の、明治維新をはさむ五代にわたる人々が小説に登場しています。農業経営に才を発揮し分家まで出した人や、農地は番頭に任せ自分は藩士として京都やいわゆる官軍の兵士として会津まで出征する人がいるかと思うと、生地を離れず家を守って一生終わった人もいます。
 こうした人々と彼らが関わった事件を、作者はつかず離れず淡々とした筆致で描いています。資料を大切にて叙述の正確さを心がけ、資料の欠けた部分は抑制された想像力を働かせて書くということに徹しています。読後の清々しさはここから来ているものでしょう。そして登場人物に対して作者は理解と感慨をもって書いていることがなんともいえず読んでいて好もしいのです。これは作者の身内びいきによるものでないことは言うまでもありません。表現の妙味を会得した作者の、けれんのない書き方が滋味を感じさせるのだと思います。
 ここで余談になりますが、私は佐幕派です。西郷隆盛・木戸孝允・坂本龍馬は勿論吉田松陰・高杉晋作等の勤皇派はどうも好きになれません。それに比べ、川路聖謨(としあきら)・小栗上野介忠順といった幕臣や河井継之助(長岡藩士)などに親しみを覚えます。こうした能吏が明治政府にいたら征韓論などという愚かな政争は避けられたのではないかとこっそり思っているのです。
 ところで、この小説の副主題の一つとして、人生の終わり(年齢に関係なく)に近づいている人の故郷への回帰心があるようです。故郷への回帰心といえば、死の三日前に友人の賀古鶴所に口述筆記を依頼した森鴎外の遺言をおもいだします。「(前略)余は石見人森林太郎として死せんと欲す。宮内省陸軍皆縁故あれども生死分かるる瞬間あらゆる外形的取扱ひを辞す。森林太郎として死せんとす。墓は森林太郎の外一字もほるべからず。(後略)(原文はカタカナ書き、句読点はなし)」というのがそれです。ご存知のように森鴎外は石見の国津和野藩の藩医の息子です。この遺言については研究者たちのいろいろな考え方がありますが省略します。島崎藤村にも「(前略)血につながるふるさと」という言葉があります。
 それでは、「流離譚」の中から、懐郷心に関わる話を紹介しましょう。
 前に安岡一族の中で会津若松まで遠征した人物がいたと書きましたが、この人は安岡覚之助といい、本家を継ぐために分家から養子に入りました。この小説では、一族の中では藩士としては一番活躍し出世もしたようです。覚之助は土佐藩軍の小隊長として会津藩軍と闘っていたとき、他の兵士に替わって戦況を見ようとしたところ、敵の流れ弾に当たって死んでしまいます。作者はその死んだ場所をおとずれました。会津若松市のはずれの湿地帯でした。
 「 そんな中にだだっ広いコンクリート舗装の道路が一本とほっており、トラックが時折白い埃を巻き上げながら、走り過ぎて行く。それが越後街道であり、黒い泥のくずれかかったドブのやうな川にかかってゐるのが柳橋であった。
 覚之助は本当にこんなところで死んだのだらうか?
 私は文字通り絶句したまま、胸の中でむなしくそんな言葉をつぶやきかへした。きけば、そのあたりは昔、処刑場のあったところだといふ。しかし、この荒廃した風景をまえに、浮かんでくるのは処刑者でもない、戦死者でもない。ただ戦乱に血塗られた一個の屍体が眼の前に横たはってゐるのが、白昼の日射しの中に見えてくる気がした。」(下271p)
 やや主情的ではありますが、魅力の一端が分かっていただけたでしょうか。
 作者は、坂本龍馬も暗殺される前には、無意識ながら「帰巣本能」が働き「本卦帰り」を目指していたかもしれないとも書いています。作者は「薩長同盟(同盟成立後、薩長は龍馬をはずして幕府を朝敵として征伐するという詔勅を取る密約を結んでいた。山田注)を成立させた龍馬が、一転して武力倒幕を否定する大政奉還の運動を始めたときから」暗殺されるという龍馬の運命は決まっていたと言い、「天馬空を往くかの如き自由人」といわれる龍馬であるが、「自由な野人ではあったけれども、決して冷徹な個人主義者にはなれなかった。」とみています。この小説で私の勤皇派嫌いが変わったわけではありませんが、龍馬を全面的に称揚する昨今の風潮を、苦々しく思っていた気持ちから、やや斜に見られるようになったのは事実です。
 安岡一族の本家を継いだ養子の正?(まさひろ)は、養家(本家)が没落していたためか、南国の高知から東北の福島県梁川に家を移します。距離にしては千キロを超えているでしょうか。彼は梁川で眼科医として繁盛したそうです。後に息子は役人として出世をしており、正?は高知の親族などからは故郷を捨てたとは言われたでしょうが、家を立て直したと見てもいいでしょう。
 この小説は正?が故郷の知人に出した手紙をもって終わります。彼はこの時脳溢血の後遺症を患い、手も不自由だったようです。
 「(前略) ドーカシテ今世ニテ今一度、故郷ノ方々ニ御目ニ懸リタイト思ッテ涙に暮レテ居マス。仮例え此身体ハ死シテモ、魂ハ故郷ニ帰ッテ皆様ニ逢ヒタヒト思ッテ居マス。私今少シ、ドーカシテ生キテ居テ、自分ノ目的ヲ達シ、倅正光ノ行末ヲ見届ケ、祖先ノ名ヲ揚ゲ度イト思ッテ居マス。(中略) 古里に吾レまつ人もなからましなに恋しくてぬらす袖かな(後略)」

 長々駄文を弄してきました。お付き合いいただき感謝申し上げます。末尾ながら、皆様のご健勝をお祈りしております。

30年記念恩師寄稿 (城倉先生)

所 感
一組担任城倉先生



 卒業三十周年記念おめでとうございます。これから五十代という働き盛りで、社会の各方面で指導的役割を果たしていらっしゃる皆さんにお会いできて本当に嬉しく思います。特に今日は記念事業として、「十六歳のハローワーク」と題して二十二人もの人が、後輩在学生のために講義をして、仕事の内容や働き甲斐や研究への情熱など伝えて下さったことは、後輩への何よりの贈り物だったと思います。皆さんの話に感銘を受けて後を追ってくる後輩もきっと出てくるでしょう。このように内容の濃い重い企画は卒業記念事業として、他の範となる出色のものだと思います。
 懇親会でのスライド上映は楽しかったですね。高校時代三年間の資料や映像が感心するほどきめ細かく沢山集められていて、三〇年前の昔に一気に連れ戻されたような懐かしさを覚えました。皆さん本当に活気があり、意気軒昂でしたね。
 私は懇親会では、懐かしさと嬉しさで、つい酒を飲み過ぎてしまい、皆さんにご心配をおかけして申しわけありませんでした。酒が弱いのは分かっているから、普段気をつけているのですが、あのように貧血になるとは、情けないですね。大変お世話になりました。

○ 教へ子は有難きかな医師幾人(いくたり)酔(ゑ)ひたる吾の脈取りくれぬ
○ 宴席にいつ血圧計のあるならむ上九十に下四十八
○ 大勢の医師に囲まれ恥づかしくも病人になりこころ安らぐ

 私は今年、寿台連合町会( 約一六〇〇戸)の役員を仰せつかり、会議なども多くて忙しい思いをしています。夏祭りのために手分けをして、町内の企業や商店を寄付金集めにまわりましたが、今までやったことのない慣れない仕事で大変でした。近況報告代わりに、拙い歌を添えますので御笑覧ください。最後になりましたが、今後皆さんのますますのご活躍とご発展をお祈りしてお祝いの言葉とさせていただきます。

○ 町会の会議終りて帰る道雲早き空に輝く満月
○ 住民の水かけくるる水神輿(みずみこし)時々みづからも頭にかけて
○ 高齢化すすむ団地にこの年は若者ら多く神輿に集ふ
○ 百日紅(さるすべり)凌霄花(のうぜんかずら)陽(ひ)の色に咲き盛る街を水神輿行く
○ 年々を蕎麦屋で休み庭石に腰掛け旨き蕎麦をいただく
○ エール交はし神輿を渡す隣町の半被姿も新鮮に見ゆ

深志32回新年会&記念DVDみんなで見よう会

深志32回新年会&記念DVDみんなで見よう会

1月2日(日) 17:00~

会場 舶来凡蔵
http://www.mcci.or.jp/www/gourmet/sirosyuuhen/hakuraibonkura.html

会費 5,000円

深志32回生卒業30周年記念式典

深志32回生卒業30周年記念式典

【式典次第】
   来賓入場
   開会
   黙祷
   開会の辞
   委員長挨拶
   来賓祝辞
   記念品贈呈
   校歌斉唱
   閉会の辞
   来賓退場




深志32回生卒業30周年記念事業実行委員長 神野君の挨拶



 32回生の皆さん、こんにちは。お久しぶりです。
 深志32回生卒業30周年記念事業実行委員長を仰せつかっております、3組神野です。
 深志32回生卒業30周年記念式典の開式にあたり、記念事業実行委員を代表いたしまして一言ご挨拶申し上げます。

 ご来賓の同窓会副会長の相澤英伸様並びに松本深志高等学校長の百瀬康雄様、そして、中山茂先生をはじめ、担任の先生方、本日はお忙しいところ卒業30周年記念式典にご出席頂きありがとうございます。
 また、今日、この場にお集まり頂いた深志32回生の皆さん、中には遠路はるばるカナダから足を運んでくれた猛者もいますが、万障繰り合わせてお集まり頂き、誠にありがとうございます。

 さて、私たち32回生が深志卒業後、母校に集まったのは、10年前と5年前ですから、今回で3回目になります。幸いにして私は転勤族でありながら、皆勤で出席することができています。過去2回の集いに参加して痛感していることは、同期の皆と再会し、話をしたことで新たなエネルギーというか、活力を貰えるということです。これは、深志において同じ時代、同じ空気を吸って育った者同士であればこそ、こころ精神の奥のどこかで共鳴し合い、増幅していくものがあるのではないか、と考えています。

 私たち、32回生がこの深志を卒業して早くも30年が過ぎてしまいました。俗に「十年一昔」などと言いますから、今年で3昔にもなってしまった訳です。実行委員会で一緒に準備を進めてきた仲間の中にはお子さんが深志生として通っている者、深志で教鞭を執っている者もいます。32回生の中にはお孫さんが生まれた者もいるとも聞きました。改めてこの深志を卒業してからそれだけの時間が過ぎ去っているのだと思い知らされている次第です。

 今ここにお集まり頂いている皆さんをはじめ32回生の皆、それぞれの立場で今の日本社会の一端を支えていることと思います。その礎となっているのは、この深志時代にあると感じています。十代の多感な時期、16~18歳の3年間をこの学校で過ごさせて貰ったことは自分自身の人格形成で大きなものがあったように思います。確かに3年間と極めて短い期間ではあるのですが、それにも関わらず中身の濃い、実に濃密な時間を過ごしていたと思うのです。そして、この学校で培われたこと、言い換えれば、すり込まれたこと、いわば「深志魂」というものは今、仕事をしている中でも十分に活かされていると感じています。
 そして、改めて深志高校の前身たる松本中学校の初代校長であった小林有也先生の遺訓を噛みしめたいと感じています。
 一、諸子はあくまでも精神的に勉強せよ
 一、而して大に身體の強健を計れ
 一、決して現代の惡風潮にそ染み堕落するが如き事のあるべからず

 ところで、先輩たちは今まで深志を卒業して30年を迎えたところを一つの節目として、記念事業を行い、母校になにがしかの寄付をしてきたと聞きました。私たち32回生もその先輩達の例に倣い、記念事業を行うべく、昨年、実行委員会を組織した次第です。そして、今年5月に趣旨書をお送りしましたところ、多くの皆さんの賛同を得、目標を大きく上回ることができました。それにより、卒業30周年記念事業をこのように盛大に行うことができるのもご協力を頂いた皆さんのおかげであります。本当にありがとうございました。

 最後に本日、お越しになられたご来賓と恩師の先生方、そして今日お集まり頂いた32回生の皆さんのますますのご健勝とご発展を祈念申し上げ、私の冒頭の挨拶といたします。
 本日はどうぞ宜しくお願いいたします。



  諸連絡
  椅子収納
  写真撮影誘導

  出席者全員の写真撮影(講堂前)

松本深志高校32回卒業生 尚学塾特別講義(2010年10月2日)

 

深志32回生の卒業30年事業第一段は、深志高校在校生を対象にした尚学塾特別講義でした。

今年のテーマは、「16歳のためのハローワーク」。

今年は、新たに50分授業を2回という試みでしたので、在校生生徒諸君も第一希望に第二希望を聞く事が出来たので良かったのではなかったでしょうか。



◆1次限

講師名分野講演内容
金井君医療/産婦人科産婦人科医だから語れる 
”生命誕生の奇跡と生きるっていうこと”
二木君法律/検事・弁護士検事と弁護士の仕事の怖さと魅力
神野君行政/国政「崩れ」・・・桜島から十勝岳、北アルプスまで
百瀬君物理・化学・天文学外国の大学に行きませんか?
赤堀君研究/文化人類学砂漠で遊牧民と世界を考える
ーイスラームの人類学
平良さん宗教/牧師キリストに導かれて
戸枝君精密/総務・経理アドミスタッフのメーカーでの役割 
~海外赴任、M&Aを通じて
川辺君自動車/技術開発Hondaでのエンジニア経験紹介
(航空機、F1レースから量産車開発まで)
加藤さん経営コンサルタント経営コンサルタントってどんな仕事? 
コンサルティング・スキルで自己分析をしてみよう!
桜井君新聞社新聞はなくなるのか
~日本経済新聞の実験
金舩さん外資系銀行外資系銀行のお仕事
(外資系企業で働き続けて思うこと)

































◆2次限
 
講師名分野講演内容
檀原君教育/高校教育教育における「あたりまえ」
~学びあう仲間ということ~
三浦君会計/公認会計士健全な経済活動を支える公認会計士という仕事に就いて
征矢さん行政/地方行政松本市の危機管理・防災とは
~「生きていく」ことを考えること
花村君研究/数学大学や大学院ではどのように学ぶか
石川君研究/地球科学大学を「卒業」できずに、南極へ
太田さん研究/文学虚学のススメ~
「文学をやって何になるの?」の質問に答えます~
西村君半導体/プロセス技術”限りなく小さく・・・微細加工”
・・・技術者の夢
酒井君自動車/経営戦略戸を開けてみよ 外は広いぞ 
~世界企業トヨタで働く経験から~
前田さんITコンサルタントITの発展と共に
=マイクロソフトを経て独立。これからの働き方とは。
高橋君出版社なんて素敵な商売なんだろう、編集って
高橋君ギター製造「世界で一番」を目指そうー
ーギター製作の小さな作業場から

プロフィール

広報委員長32

Author:広報委員長32
広報活動を行わせて頂きます。

現在,試用運用中です。
暫くは大目に見てください。

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